おーい遊びにいこらよ

我が師清水公照先生のおそばにいて聞いた話を思い出しながら華厳の教えにふれる世界です。    ○○○木庵○○○ 田中 公童

その二 華厳経より

花ぼとけ 華厳P12より ()探究社 1979/9/10 第二刷

大方広仏華厳経世間浄眼品第一

是の如く我聞けり 一時、仏、まかだ国の寂滅道場に在しき。

初めて正覚を成じたまひしとき、其の地は金剛にして、

厳浄を具足せり、衆宝雑華を以て荘飾となす。

いま、この朝の仏、「初めて正覚を成じたまひしとき」の仏を「花ぼとけ」と呼ばして戴き、華厳経を味わってみ度いと思う「花ぼとけ」である。

普段の生活の中に華厳の教えを見つけられた師は日々の出来事を話しかける様に時にはユーモアを交え書かれています。



その一 華厳経 

しあわせを創るP11より       (株)講談社 1987/12/10初版

かつて、華厳滝でしか耳にしたことのない、華厳という名聞いたことのない現代人には奇異におもえたのに違いない。そこで、華厳を、ひとことでいうことになった。さまざまの花で、この地上を飾ってゆこうというのですよ、明るく麗しく、かつ厳粛にね、と解説を始めることにした。

華厳経入門 著者の言葉より(株)光文社 1978/10/5 初版 絶版

釈迦が「目覚めたるもの」仏陀としての自覚と自信を得たのは年二十五あるいは三十五であったと伝えられているのでありますが。その若き血のふつふつとたぎる青年行者、人間悉多の長きなやみからの解放を描き出そうとした一つの大きな創作が華厳経なのです。中略 この世は、この生は、実は春の野辺に咲き競う麗しき華、しかも生命という不思議を秘めた厳かな華にも喩えようか、大らかな花、小さい花、赤い花、白い花、さまざまな花はさまざまに咲き匂うているでないか、という麗しきも明るい人間観であります。

お釈迦様が悟りを開かれたとき「あっそうか」と膝を叩かれたと聞きました、「何―でもないとことに気がついたらしめたもんや」(泥仏百語より)と気付きと悟りは同じではないし悟りも一人一人違うらしい。身近な話から始めます。

華厳宗大本山東大寺のサイトへはここをクリックしてお進み下さい。(只今準備中)。

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